沿革

当山は口伝によれば、度重なる焼失の難に遇い、その縁起等は不明である。

一説によれば焼失の度に本堂を移転したとされ、隣村大津から大崎「はやまの里」附近に移転し、その後現在の場所に再建されたといわれる。

元々の本尊は「阿弥陀如来」であったが、いつの時代からか「千手千眼観自在菩薩」を勧請し本尊としたようである。

この尊は貞享年間(西暦1684~1687)にはすでに五、六百年程の歴史があり、当時すでに海底に没していた「安藤」と言う集落で信仰されていたそうである。

今日の本堂は享保元年(西暦1716)当山中興秀専の代に建立された。櫓作りの山門もこの当時の建立である。

現存する記録には最も古い住職として盛範法印の名があり、その後の七代目が中興秀専とされている。

時は下り明治7年には現在は廃校となった石地小学校の前身である太田小学校が当山で開校されている。 近年では先代住職政幸の代に第二室戸台風の災禍に遭い、本堂正面海側にあった観音堂が倒壊、残念ながら現在もその再建はならず、西国三十三観音霊場御本尊を模してつくられた「三十三観音像」は本堂内陣脇の書院に安置されている。

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